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うううううううううううううううう

 フリーターの生活を一年もすると、自分の将来に不安を覚える。
「自分はいつまでこんな生活するのだろうか」
「ちゃんとした仕事に就けるだろうか」
「童貞卒業できるだろうか」など、
 不安はいつまでも拭えない。
 しかし、いつかは職に就かなければならないのである。その時がいつかはわからないが、じぶんでもこんな生活はダメだと、やはり頭の片隅に考えているのだ。
 
 先述べたが、親も悲しむくらいに、私には就職する気がない。ダメ人間なのだ。
 そしてドラゴン桜には冷めたが、東大に恋し続ける馬鹿なのである。えへへ。

 甘えが許される、そしてヒマがある今だからこそ、東京大学への受験をちゃんとしてみたいのだ。
 これが、東京大学までの長い道のり、その第一歩である
 
 とか書いとけば、イイ感じに見えるっスか?
 
 

ああああああああああああああああああ


 先ほど「偏差値は32くらい」と書いたが、実のところ、高校時代に偏差値を計ったことがない。私が自分の偏差値を知ったのは、高校を卒業して予備校に通っていた頃のことである。「〜いた頃」と書いてあることから、すでに予備校を辞めたことを先に記しておく。
 私はある専門的な学業を行う学校に所属していた。高校時代、3年生の1月といえば、世の高3の人間はセンター試験、二次学力試験に力を入れて勉強しているのが通説だろうと思う。だが、私のクラスの約6割がより専門的に学業に就くために進学。残りが就職組と、その他である。私は「その他」の部分に属していた。
 進路も決まらないまま、ところてんが押し出されるようにスポンと高校を追い出された形で卒業した。なにも決まらなく、だからといって何もしないまま過ごす事もできず、とりあえず頑張ってることアピールとして、親の進めるまま予備校に入学した。
 予備校は、苦痛だった。高校三年間、勉強に対して努力というものをしていないのだ。学力という話でいうと、中学時代のほうがましだった。いや、中学時代も私は勉強していなかったのだが……
 とにかく、予備校に籍を置いているにもかかわらず、毎日のようにゲームセンターにたまり、腐った生活を続けていた。
 だが、そんなものはいつかばれる。そのいつかが、やってきて、怒られ、親と喧嘩し、そして予備校を辞めるという経緯に至るのである。
 だが、わたしはその予備校時代にあるものに出会う。
 三田紀房の「ドラゴン桜」である。
 元来怠けものの私は、その一巻を読んだときに衝撃を受けたのを一年経った今でも覚えている。
 矢島と水野の中に入り込み、特進クラスの一員になって、これから漫画で起きるであろう奇跡の一員になっていたのだ。
 ようするに馬鹿なのだ。私は。
 その熱も冷めやまぬうちに私は予備校の担任告げた。
「先生、東大に行きたいです」
 もう馬鹿かと。阿保かと。その話しを聞いていた担任は苦笑いだったが、隣の別の先生は呆れ顔である。だがその頃の私は、恋に恋する一途な乙女。キモイことこの上なしである。
 そして恋する乙女、いや、真剣なメガネは、担任と少ない時間でいかにして東大に行くかと、作戦会議ならぬ夢想話に花を咲かせていたのである。
 だが、恋に終わりがあるように、漫画にも冷めてしまうのもまた通説。
 そして予備校をサボるのも、ある意味では必然であるだろう。なあそうだろう?
 サボる日が続いたある日、予備校から一通の手紙が来る。
「最近顔を見ていないので心配です。〜中略〜それではお待ちしています」
 その手紙がを母に見つかったのが、私が予備校をやめる決定的なものになったのである。

 
 
 

いいいいいいいいいいいい

ヒマなので、ひとつ東京大学を受験してみようと思う。
 名前は茜町。
 歳は20。
 最終学歴は高校、偏差値はたしか32くらいだったと記憶している。
 はっきりいって無謀かもしれないが、何しろヒマなのだ。
 おまけに高校を出てから仕事についてない。
 ニートではない。断じてニートではないのであるが、いつか職に就かなければいけないとき、空白の2年間がどうしても痛いのである。
 というか、まだ職に就く気はない。親も泣きたいものだろう。
 そんなことはどうでもよく、なぜ東大に受験しようと思ったのか、その部分を話したい。